Honner_Merodica*Piano_36j
Moog_Mini_Moog Model D 1972
0626(Sat)苦悩のチャンネル

あたしがまだ、高校生だった頃(Wow)、悩み多き我々は、夜な夜な友達と集まり、様々の会話を致しました。
その頃、『苦悩のチャンネル』と言う話を、書きました。それは、自分は例えば、7つの悩みを常にかかえており、その日の気分で、今日はこれにしよう....と言う具合に、テレビを観るように、自分の悩みについて、見聞きし、そうして悩むのだ....と。
友の一人が言いました。

『自分の悩みが、判るって凄いよな....。』(さあ)

捨吉にとっての、Moogの価値は、自分の考えている事を、日常世界に捕われずに、もっと知るべきである....と言う事に、非常に近い。日常生活世界に於いて、我々が考える事は、常に紋切り型であるはずですし、また、そうでなければ、動いては行かない。その事が、仕方の無い事であるにせよ、常に我々が、C>F>G>G7のような、感情を持つ訳では無いし。
誤解の無いように言って置きますが、捨吉は上記のコード進行や、そのようなコードが醸し出す、一種の音場、空気感は、大好きなのです。しかし、それが、出来すぎた喜びであるのなら、不協和音や、ナンセンスコードが飛び交う日があっても、可笑しくはない.....と。

Moogは、現在のシンセサイザーと違って、プリセットされた音色と言うものが、ありません。
つまり、ピアノの音が欲しいなら、その日のピアノを造る必要がある。それにも増して、この楽器は、モノフォニック(一度にひとつの音しか出ない)楽器でもある。和音を同時に付けられると、ついつい便利な方向に、走りやすい自分にとって、モノフォニックは、一度記録しておいたメロディーについて、感じ直したりする、不便さがある。
このような不便さは、非常に便利なんだけど>阿呆?

確かに、The_Last_Waltsは、聴き難い>それは、判る。
少なくとも、日常生活世界に於いては、聴きたくないものが、多分に含まれている。

だから捨吉は、結構、気に入っていますけど>この、日常的不快感はね.....。世界を、チェンジすれば、そこが変わる....。

現在の捨吉には、苦悩のチャンネルは、存在しません。
判っていようが、いまいが、そんな事は、どうでもいい。凄いか、凄くないかは、更にどうでもいい。

なんだか全く判らない世界の中で、音楽が鳴っている。音楽に、いいもの、良くないものはあっても、善悪はない。
それが苦悩で......どんな音でも、ただ、聴くだけ。

0712(Mon)蛍

捨吉には、もうひとつ、違った傾向の音楽をやってみたい.....と言う希望があります。
で、そのためにシーケンサーを使いたくて、Logic_6を買ったんですけど.....未だに音がでーへん(泣)
仕方なく、Galege_Bandで手で弾いて、これを作ったんですけど、あと10回位、これを繰り返して、メロディーを変化させながら、変えて行くと言うのを、やってみたいんですよね。ですんで、これは、『居酒屋』を作ってみた時、最初にモチーフをUPしたのですが、それと同じだと思ってくだせえ>そのうちに、こいつに何か乗っけてみたいと思うんですが......。

最近、着物を描いてなかったし、夏だし.....と言う繪に、くっつけてありますけんど......こう言う、東洋的な回廊のように巡る音楽には、興味があります。二つの音が聴こえると思いますが、どちらもすごく気に入っていますが、メモを取らなかったんで、もう作れないかも。プロフェッショナルな方に言わせると、メモを取っても、おんなじ音は、二度と出ないのだとか。
捨吉の曲はともかく、Moogの音(らしくない音である、と言われそうなんですが...)良かったら、お聞きになっておくんなさいやし。
0720(Tue)マイケル*ナイマンを聴く。

酒を毎日、浴びるように飲まなくなって、捨吉が書いている事は、つまらなくなりました。
まあ、本人がつまらないのだから、ここに来てくださっている方には、さぞ、つまらないのではと思うと、ぞっとするんですが。

精神状態が変わったせいか、聴く音楽も次第に以前、聴いていたものに戻ってゆきつつある、この頃、久しぶりに、マイケル*ナイマンのCDを、聴いてみました。(飲んでいる時は、Ambient系統の音楽を、インターネット*ラジオで流しっぱなしにする事が、多かったです>Drone_Zoneと、Dub_Beautiful_Collectiveと言う局が、気に入って居りましたです。)で、そのCDを聴きながら、ライナーを読んでいたあたしは、ナイマン自身のある言葉に、ふっと意識を捕われていました。引用してみます。

『私の音楽的な指向には、明らかに、ある主の精神分裂症的な傾向があり、それは誰かが、注目すべき事だと思います。』
彼の音楽をお聞きになった事のある方なら、ナイマンの音楽が、非常にメロディアスで美しいものと、不吉なもの、非常に情緒的なものと、破壊的なものが、両極端に同時に、彼の中には存在しているのではないか......と思われた方も、多いはずです。
まあ、ナイマンと言う人は、あのイギリスの映画監督ピーター*グリーナウェイ(ケート*グリーナウェイではないですよ>念のため。)と長らく一緒に仕事をしていたそうですから(捨吉めも、『数に溺れて(1988)』は、好きです)一般受けしないと言う事は、承知していましたが、最後に、ナイマンは彼の音楽の事を、『Death_Music』と呼んでいる事を記して、今日の記述を終わりにしたいと、思います。

捨吉自身も、規模や才能が違いすぎるだけで、この傾向に似た要素を持っているような気がしました。
それが、良い事なのか、悪い事なのかは、判らないけれども.....また、つまらない曲が出来たら、聴いておくんなさいやし。
では、ご免。

0802(Mon)『シェルブールの雨傘』って、どんな曲?

少し前に、『シェルブールの雨傘』を観たくなって.....でも、DVD持ってないし.....。
で、雰囲気だけでも、i_Tuneで楽しもう.....と思って弾いてみたのが、間違いだったのか.....(笑)
もしも、映画『シェルブールの雨傘』をご覧になっていない方が、このフラッシュをお聞きになる場合、原曲はこれほど、裏ぶれていない事に、ご注意下さい。まあ、捨吉は非常に自分らしくて、好きだけど........このお馬鹿っぽさとか......。

(都合により、雨傘は、削除いたしやした。)

0905(Sun)孤独なカウボーイ


矢井田瞳さんって、すごい人かも>少なくとも、音はすごいかも。>彼女の孤独は、とっても象徴的で、わかりやすい。
捨吉は、具象的なもの、直接的なものが、非常に苦手で....病気かも/..(I--‾--I)

1020(Wed)演歌の花道。

捨吉めは、決して演歌が嫌いだと、言う訳ではありません。
でも、だけど、演歌の音源は、我が家にはありません>母のライブラリにも、嘗て、ここで暮らしていた父のライブラリにも、演歌と言うカテゴリーに属する、音源があったかどうか、定かではない>父のライブラリの最たるものは、ルードヴィッヒの、運命か、イヴ*モンタンの枯葉かな。母のは、何かな>やっぱり、シャンソンか、タンゴかも....。

先日、友人が、と或る演歌のCDを貸してくれました。捨吉めは、喜んで、そのCDをコピー致しました>で、聴きました。
素晴らしいでっすー(笑)

でも、聴いたのはその日だけでした>音もいいし、結構感動>したと、思ったのにな。

好き嫌いと、言うよりも、変なんですよね>自分の部屋で、演歌。>時折、鼻歌まじりに、ハンドルを握りながら、口ずさむ唄もあるのに、ね。

右を向いても 左を見ても〜莫迦と阿呆のからみあーい〜
どこに男の 夢がある......


鶴田浩二さんですね。捨吉にとって、音楽は、居場所に、とても左右されるものみたいで.....。>でも、やっぱり、ジョークでしか、流せないのかな>演歌。(やっぱり、演歌って、トラックを転がす時に>つまりヤクザな気分?の時に、聴くモンだって.....>違うかなあ ......)


0103(Mon)突然なんですが.......

或る時、車の中で、この唄を聴いて、電流が流れました>西崎みどりの『旅愁』って、知ってますか(阿呆)
ご存知ないのなら、川田ともこの『あかね雲』でも、いいです(よくありません)

実は、これ、どちらも必殺シリーズの主題歌でして.....小学生の頃、寝たふりをして、見ておりましたです。
一番、印象に残っているのは、小林旭の『夢ん中』でしょうか。画面まで、憶えてる>歌詞は、こんなふうでした。

男も辛いし>女も辛い>男と女じゃ、なお辛い

小学生の記憶力って、怖いです.....。